負の伝播

 虐待は誰にも起こることではありませんが、起こった場合、間違いなく、受けた側の人の心に特別な文化とルールを創ります。それは長い期間、その人を支配し苦めます。どこかで断ち切って、その特異な文化とルールを断ち切らないと、世代をえて何代にも亘って伝播することは珍しくありません。


 いま今日の段階で、なんとなく生き辛さを感じる人は、間違った文化とルールの影響を受けていないか、用心深く自分を観察するのは悪いことではありません。直接親から酷い目に合っていても、そんな記憶はない」と断言する人もいるので、間接的に受けている場合には認識できなくても不思議でありません。さらに自分自身は親から愛された記憶しかなくても、親の中に間違った文化とルールが植えつけられていた場合には伝播してもおかしくありません。


 間違った文化とルールが意識的、あるいは無意識に五感を通じて入り込んだ場合には、自分では意識できない人生脚本に支配されることは珍しくないのです。そして価値観以前の存在のあり方として、自分の文化として自身全般に影響します。

克服は自他尊重を大事にすることです。他者が自分を傷つけることを許さない。逆に自分も同じです。自分のケアは自分でする、自分のことは自分が引き受ける、つまり主体性を持つことから始まります。他者と比較する必要はありません。自分の素晴らしさを自覚しましょう。


「私にはそんな価値はありません」「私は取るに足らないつまらない人間だ」と思う人がいるかも知れませんが、人は誰でも、人を笑顔にする乙とができます。人はみんな祝福された素晴らしい存在なのです。


他者と比較する必要などありません。私たちは物心がついたころから試験の点数で順位づけされてきたので、どうしても劣等感を覚えがちです。しかし誰にでも、大切な誰かに喜んでもらった経験はあるはずです。それこそがじぶん再生のヒントであり、自分の価値を創造する原点です。学歴や試験の点数など関係なく人は素晴らしい存在なのです。


しかし、なんらかの事情で自分の素晴らしさを認識できず、もったいないことですが心が折れている人もいます。しかも昔から日本では謙遜が美徳とされているので、自分を素晴らしい存在だと認めることに抵抗のある人も少なくありませんが、自分を卑下し自分をつまらない人間だと思うことと、謙虚さは全く異なります。自分を素晴らしい存在だと信じられるから、なにごとにも謙虚に感謝できるようになり、逆に素晴らしい存在だと信じていない人ほど、謙虚になれないのが実際です。


 まず自分を信じてみましょう。
これは負の伝播を受けた人にお伝えすることですが、自分自身の面倒をみるという考え方が、虐待を受けた子供たちの新しい行動の一部になると、質的な変化が起こります。例えば、以前は罪の意識に押しつぶされてできなかったことが自分で責任を引き受けてできるようになります。主体性を持って遊んだり楽しんだりできるようになります。


自分と他者との問、特に親との聞に適切な境界線を引き始めると、限界を設定できるようになります。もうひどい扱いは許せなくなるし、他者の思慮のない行動も受け入れられなくなる。その一方で適切に人を信頼できるし、感情を解放するようになる。この信頼と適切な対応を伸ばすと約束が出来るようになり、信頼関係が築けるようになります。それは平穏と回復につながります。

「すべてか無か(白か黒か)」とコントロールの関係


 
アルコール依存症者のこどもたちに共通する態度「すべてか無か(白か黒か)」の機能とコントロールの関係についてお話しましょう。


何もできなかったと考える。何もかもがすべて正しくないと考える。すべて間違っていると考える。このような考え方は、「すべてか無か(白か黒か)」の機能を働かせている典型的な状態です。


「すべてか無か」の機能はそれだけに留まらずコントロールの問題に発展します。
コントロールしているか、していないか?の2極化した状態で機能しているか、していないかを判断して、本人に認識されます。認識の結果、思いのままの状態が維持できていれば続け、そうでない場合には全く無関係に過ごすかのどちらか一方なのです。「すべてか無か」はコントロールと1セットであり、無関係に過ごすのは、傷つくことを恐れる結果なのです。


「すべてか無か(白か黒か)」で判断する彼らの特長は、コントロールを失わないように自らに注意を与え続けるか、そうでない場合は無関係を決め込むことです。「すべてか無か(白か黒か)」も、コントロールしているか?していないか?そのどちらも柔軟性に欠け、現実的ではありません。


コントロールの問題は、「すべてか無か(白か黒か)」の問題が感情的に行動化したものです。思い通りにならない場合はコントロールで相手の自由を抑えこもうとするわけですから、状況によっては簡単に暴力に走ります。つまり破壊、破滅が隣り合わせに並んでいるのです。


どのようにして、このような仕組みを身に着けたのでしょうか?健全に機能している家族のもとでは、「すべてか無か(白か黒か)」ではなく、時にあり、時にない。白でも黒でもないグレーである中間的な場合が多く、思い通りにならない状態を我慢ではなく自然な形で柔軟に受け入れます。


思い通りにならないからといって暴力に訴えることは理不尽であり、あり得ないのです。コントロールを失わないように注意深くなるのは、アルコール依存症者のいる家族に育った場合に多く見受けられる現象です。子供時代にコントロールを手離すと自分が精神的、あるいは身体的、もしくはその両方が傷つく場合が多いからです。

たとえば、好意を持っている異性とはじめてデートした日に、相手が気持ちを表明することを期待したものの、特に何もなかったというのは失望することではありません。相手には相手の考え、ペースがあるからです。


しかし、白か黒かで判断する傾向が強いと、明確な回答となることを望みすぎてしまいます。強すぎる希望は落胆に走る危険があります。一旦落胆すると今度は、否定感を持った状態で相手の考えを確かめようとします。怒りが含まれた状態なので、ラケットを使います。もうこれ以上傷つきたくない防御が働いているので、自分の気持ちや考えを話さないようにして試します。相手には何が起こったのか分りません。この段階ですでに関係性は破綻に近い状態にあります。


(1)デートの最初に日に、「相手の気持ちを確認したい。」「自分のことは包み隠さずを全部話す」というのは、相手に対する心配りに欠ける行為で乱暴です。なぜなら相手には相手の心の準備があるからです。お互いに、一歩一歩、確かめながら進退を決めていけばいいことなのです。

(2)相手が言わないからといって不信に思い、次回からは何も言わないようにする、というのは感情的な行動であり、コントロールに走っている状態です。コントロールされる立場は楽しいものではないので、続くと関係は破綻します。


(1)(2)を通じて「すべてか無か(白か黒か)」の態度が一貫していることにお気づきでしょうか?
自分でも気づかない隠された目的に注意が必要です。たとえば破綻し、見捨てられたと感じることが目的になっている場合もあります。


「すべてか無か(白か黒か)」の延長にコントロールがありますが、コントロールを放棄し、他者と分かち合うとどうなるかを見極めるのは難しいので、コントロールを手放しても安全と感じとるまで、コントロールを放棄しないので、「すべてか無か(白か黒か)」の問題を最初に理解することが先決です。


対策は、自尊心を強くすることにあります。自尊心は心の柱のようなものなので、まず自尊心を築く作業を続けていくことが望ましいのです。そのプロセスでは感情が不安定になることも、傷つくこともあるでしょうが、そこで中止することなく、自尊心を築くのです。つまり自尊心が弱いので、「すべてか無か(白か黒か)」や、コントロールで自分を守っているのです。


どうして自尊心が弱いのでしょうか?
機能しない家族で育つと、機能していない人が家族の一番弱い人に対して攻撃してきます。攻撃するには理由が必要なので、理由をあげます。
たとえば「お前のせいでこうなった」という言い回しは負い目を感じさせるのに十分で、我慢を強要します。こうして強要する人と自らがひとつになって自分を攻撃する仕組みが日常化します。この仕組みは自尊心をボロボロにするのに十分です。


どのようにすれば自尊心を築けるのでしょうか?
コントロールを企てる裏には、責任範囲の混乱があります。人には自分が出来ることと出来ないことがあります。その見極めをすることです。酔っ払いが酒を飲むのは、その本人が決めることで、当事者以外にコントロールできません。天候をコントロールできないのと同じです。できること、できないことには明確な「境界」があります。この境界を繰り返し意識することが克服のポイントになります。


好きな人がいてその人が誰を愛するかは、あなたの問題ではなくその人の問題なのです。あなたを選ばないからといってあなたの責任ではないのです。もちろんあなたには人として魅力を高める機会も権利もあります。しかしそれでも選ぶ権利は相手にあり、あなたにはありません。つまり選ばれなかった責任はあなたにはないのです。この関係性に自尊心が入り込む余地はないし、自尊心を云々するのはバカバカしいほど見当違いです。


このように「境界」を認識して「その問題の主体は誰にあるのか」を考えると、本当の責任者が見えてきます。もともと自分の及ばない問題を繰り返し自分の落度のように感じさせられたことが、自尊心を叩き折る原因になったのです。


それが分れば問題解決は簡単なはずですが、分っても修復が困難なのは、知識が理屈ではなく五感を通して入り込んでいるからです。だから「頭では分っているけど実行できない」という現象が起こってきます。克服どころか、我慢のない関係に「情熱」「リアルティ」を感じなくなり、同じニュアンスを持った人物との関係に親和性すら感じてしまうのです。そうでない相手と向かい合ったときには、自分が再現者になり相手を傷つけることも珍しくありません。


このような間違った方向に行かないように、意識することを使い、感情的な行動に暴走しないようにするのです。


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アルコール依存症者の子供たちが、引き受けた大人の役割

アルコール依存症者のほとんどの子供たちは、大人の役割を引き受けます。主な大人の役割には3つあります。

・責任をとる役割
・順応する役割
・慰める役割

責任をとる役割を引き受けるのは、主に長男・長女、一人っ子です。混乱する家族の中心にいて、積極的に家族をケアする」責任を引き受けます。その具体的な内容はほとんど「配偶者」の行うことのすべてです。しかも学校にも適応して成績も優秀な場合が少なくありません。子供らしく遊ぶこともこなします。家族の柱と子供を使い分け、社会的にも自分をコントロールする力を持っています。まさしく子供でありながら、大人の役割をこなしています。

順応する役割は、安定を保つために、なにが起こっていても、無視するというものです。どんな環境、状況にも超然とすることで適応します。
体の色や形を周りの環境によって変化させる生き物のように、うまく適合して誰からも注目されるようなことはしません。しかしなにごとについてもうまくやりきってしまいます。
順応する秘訣は、敵を作らず自分の要求を持とうとしない点にあります。順応することを最優先するので、自分が主体的に影響を与えることはできないと、ほとんど無意識に思い込んでいます。人への配慮、状況を察知する能力は高く、八方美人と受け取られることがあります。


慰め役は、もめごとを解決して処理する点で長けています。アルコールに支配され、モノが飛び壊れ、悲鳴があがり混乱する家庭内の状態を想像してください。慰め役はいまナニが起こっているのかを察知し、状態がそれ以上悪化するのを防止して、沈静化します。日常的にくり返される緊張と混乱のなかで身につけた才能なのです。

・責任をとる役割
・順応する役割
・慰める役割

それにしても子供たちは、なぜこのような役割を自主的に引き受けるのでしょうか?これらは、混乱の真っただ中で身につけた生きる知恵なのです。しかしそれ以前の問題があります。家庭に生じた混乱が自分のせいだと思い込んでいるのです。その引き金になっているのが万能感です。親を操作する力である万能感は裏返せば「自分のせい」になります。自分がいい子にしていたら混乱は治まると考えるのです。

必死にサポートする事で、大好きな親に変身すると信じて役割を引き受けます。そして役割をこなす内に才能になります。この才能と引換に無邪気な子供の心を失ってしまったアルコール依存症者の子供たちの無念を、大人になってから取り戻す事は大切なことなのです。






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アルコール依存症者に奪われた「自尊心」を取り戻せ

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京都 三条大橋 鴨川

アルコール依存症者に奪われた「自尊心」を取り戻せ


 アルコール依存症の親を持つ成入した子供たちの多くは自尊心が低い。自尊心が低くても家族のあり方を考えたら驚くことはなにもない。無視され、誰も頼りにできる人がいなかったこと、こどもであるより前に大人でいる必要があったこと、自分の感情、知覚を信じないように言われたこと、自分のことはいつも後回しだったこと、彼らの多くの体験が自尊心を低めた原因だと理解できる。

 アルコール依存症の家族にいる子供の欲求、要望が優先的に叶えられることはめったにない。無数の約束を破られてきた。アルコール依存症の家庭では子供は大切な人ではないのだ。「お前がいなければ、お母ちゃんやお父ちゃんは喧嘩することはない」「お前がいなければ、お母ちゃんやお父ちゃんは酒なんか飲むことはない」とさえ言われてきたかもしれない。

 回復していないアルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは自尊心が低い傾向にあるが、「アルコール依存症の家族」でなくても、このように否定的メッセージを与えられて育った子供なら、自分に好感を持てるようになることが不思議でない。
 しかし、少し視点を変えてみると、だからこそ自分のことをより多く学ぶことができるのだ。そして自分を受け入れることができる。

 自尊心を高める方法は、思うほど難しくない;

 すべてか無かの行動に挑戦し、コントロールの問題を見つめ、これまでの生活習慣を変えて、暮らしの基礎を再構築し、自分自身に思いやりと注意を払えば、自尊心をゆっくりと取り戻すことが出来る。

 自尊心とは、自分を大切にする行動を実践する副産物にすぎない。自尊心だけを高めようとして高められるものではない。
ライフスキル講座」を受けて自尊心が強くなったのは、新しい方法で自分や他人を見つめる努力をした結果である事実を忘れてはならない。ほとんどの場合、変化は二歩前進して一歩後退するものである。

ライフスキル講座の途中で何度も変化したと感じる。そして自分に敬愛と尊敬の念を感じるだろだが、そのすぐ数日後には、背骨がへし折られるような気分になるだろう。その時、あなたは全く何の進歩もしていないように感じる、自分に誇りを持てやことがいかに浅はかな誤解にすぎなかったと考えて、ガッカリするだろう。しかし、そのとき「すべてか無か」の結論を出さないように注意するのだ。
その機会こそが、二歩前進して一歩後退から、ふたたび二歩前進するチャンスなのだ。「すべてか無か」の罠に落ちずに乗り越えるのだ。

 今起こっていることは、この先も同じように起こるはずだと思い込まないようにしよう。非難ばかり横行する雰囲気の中で、自分をどのように好きになっていいか分からない。非難は他者から起こることもあるが、自分の内側から起こる場合も多い。
自尊心を低下させる状況に度々陥ると、自尊心を高めたり維持したりするのが難しくなる。始終傷つけられているように感じる人間関係は、自尊心を低い状態に置く関係である。

 否定的な関係がいかに巧妙に仕掛けられるか、父親が違う姉妹の関係で、その女性の話では、妹が傍にいる時はいつも、自分のほうが悪いときまって思わされたのだ。

 ある日、彼女が妹とふたりで遊んでいたとき、自分がしていたとことと、妹がしていたことには何の関係もなかったが、妹が自身の失敗で泣き出すと、彼女は父親から激しく叱責され殴られた。父親は夫婦間の問題でストレスを抱えていて前夫との間に生まれた姉に八つ当たりをしていたのだ。

 この恐怖は夜には酒が関係してさらに強まる。何気ない言葉のひとつが全く身に憶えのない怒りの動機になるのだ。脈絡がなく突然の変化が家庭内を走ったかと思うと、激しい言葉とほぼ同時にモノが飛び、悲鳴が起こる。そして「こうなったのはお前のせいだ」と叱責されるのだ。


 なにかをすることに臆病になっていくのだ。静かになにもせずに、死んだ兵士のように息を潜める。これが習慣化したまま成人になっていった子供たちが、自尊心を考える余裕などない。今日が無事になにごともないままに過ごすことができれば、なによりもの「成功」なのだ。

 人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。決意で変化は起こせない。道に迷ったときに必要なのは、努力ではなく、地図なのだ。なにが成功かを意識しよう。うまくいかないとき、自分を責める理由に根拠があるのか、ないのか、冷静に分析する習慣を持とう。

 そして、自分を応援してくれる人たちに取り囲んでもらうようにしていこう。こども時代に築けなかった自尊心を築く地盤が作れる。いくつであっても、無邪気な子供っぽさを大切にしよう。同時に他者のためでなく、自分の責任を引き受ける権利も取り戻せる。それらはすべて自尊心を育む栄養になる。


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京都 高瀬川 イタリアンレストランからの風景


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アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?

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京都 祇園祭


アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?


アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?」とよく訊かれます。

自分はひどくおどおどしている。自分でもいやです。
自分はひどく変わっている気がする。自信を持って話せない、行動できない。・・・・・同じ現象に苦しんでいる人はたくさんいます。しかし、現象は共通したものではなく様々です。

その一方で、アルコール依存症者の親のもとで育ったこどもの体験を話すと、「自分のことのように聞こえます」と言います。特に人間関係では、似たような悩みのご相談を数多く受けます。そしてその苦しみに共感します。ほとんどの人が心理的に共通した体験を持っていて、同じような不安と恐れを持っています。


だからと言って同じ体験をしているわけではありません。不思議とも言えるその理由には、いくつかの要因があります。


・親のアルコール依存症が発症したときのこどもの年齢が違う
・両親ともアルコール依存症なのか
・片親だけの場合、父親か、母親のどちらがアルコール依存症者なのか
・家族の子供の人数と誕生した順番
・配偶者自身(共アルコール依存症)の回復のための努力の度合い
・身近にサポートする人がいるか
・身体的な虐待があるか
性的虐待があるか
・家族の社会的な地位
・家族の経済力


同じ家族であっても、すべての子供が同じように影響を受けるわけではないので、その反応のバラバラ。例えば、ある子供はアルコール依存症の状態をはっきりと見て身体的な虐待を体験しているかもしれない。しかし他の子は体験が乏しく記憶にないかも知れない。すると兄弟で親のイメージが違うことが起こってきます。
同じことは親にも言えるわけで、親の立場になれば、同じように育てたと思い込んでいます。しかしそんなことはないのです。


子供たちは状況に適応するために、それぞれに子供独自の方法を見つけ出しているのは珍しいことではありません。兄弟でもある子だけが特別に強い反応を示していることもあります。
しかし個々に違いがある一方で、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは全体に共通して、情緒障害を起こし、自己否定感が強く不信感を持っています。



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京都 祇園祭

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アルコール依存症者の子供たちが「サバイバー」と呼ばれる理由

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京都 金閣寺

アルコール依存症者の子供たちが「サバイバー」と呼ばれる理由


 見かけは同じでも、アルコール依存症者の子供たちが成人した意味は、そうでない子供たちが成人したこととは随分違います。彼らは幼い時から戸籍謄本によって兵役に召集されたようなものです。無事に「成人」に辿り着けたことは、アルコール依存症者の子供たちにとって生き残りに成功したことを意味する。しかも、そのほとんどは基本的に一人で生き延びていて、そのプロセスで、精神的に肉体的にも傷つけられ、見捨てられた孤立の記憶とともに不安と恐怖と痛みを体験しています。


 アルコール依存症の親を持つ子供たちは、弾丸の雨嵐から身をよけながら戦場を駆け抜ける子供のようです。しかもそのとんでもない体験を誰にも話すことないし、生活の情緒的な側面を切り離すと言う離れ業をやってのけています。


突き上げてくる感情を追いやるためには、否認、抑圧、遮断となんでもする。自分の感情を自分から遠ざけ孤立することで、感情は自分のものでないようにできることを学んで来た。情緒や感情は自分の味方にはなることのない敵なのだ。もし切り離さずにいたら、自分の感情に叩きのめされてしまう。


誰にも見つからずに生き抜くために、暮らしのあらゆる場所には、秘密が張り巡らされている。仮に誰かに話したとして誰も味方になってくれるとは思えなかった。むしろ危険が増えるだけだと直感的に判断した。


もし誰かに話すことで幸運にも状態が改善されるくらいなら、自分の周囲の大人の誰かが良くなるためのなにかを誰かがしたはずだと思えた。それがないのは状況を黙って受け入れるだけに思えた。


しかも彼らは数回にわたって状況を伝えた記憶となにも変わらなかった記憶を持っている。そして何も話すなと言われた記憶も持っている。助けを受けることはできず、受容と忍耐を促されていた記憶がもっとも強く残っていて、それは彼らを深く傷つけ絶望感となって心身に浸透している。


秘密と併せて、彼らは情緒的な側面を切り離してきたので、約束、愛情、信頼、親密、保護などに対して経験が乏しく。どのように向き合っていいのか分からない。その一方で自信喪失、抑うつ症状をきたしている。実際の戦場から帰還した兵士が病に苦しんでいるのに似て、傷ついている。それは残念なことだが、いつまでもそこに立ち止まることはない。いまいる場所は、戦場ではなく、別のやり方が通用する場所で、そうすることがもっと楽にやっていける方法だ。立ち上がり、歩み始めることだ。


依存症の症状は、ピンからキリで、その他の依存症と同じく定義も誤解されています。アルコールを消費する量が多いからという理由でアルコール依存症とは決めつけられません。少量であってもアルコール依存症に陥った人はたくさんいます。また明らかな影響を受けていても、自分の親をアルコール依存症者と考えていない人もたくさんいます。その背景には「否認」が働いていることも影響しています。


しかし、アルコール依存症者の子供たちには、程度の違いはあっても共通した特徴があります。そしてその人たちには、魅力的な人が多く、優秀な人がたくさんいます。また彼らは長い戦場体験によって緊張が普通になってしまっている場合があります。平穏に耐えられず自ら緊張を作り出す人がいます。平穏をよしとする人には耐えられないストレスになります。


その人と能力に惹きつけられはしても、理解できない行動に面食らい悩むことも少なくありません。どうしていいのか分からない想いは、実はアルコール依存症者の子供たちが傷ついて苦しんでいる証しなのです。だから彼らを本当に愛しているというなら、一緒になって傷の回復をめざす勇気が必要なのです。生半可な同情は結果敵にさらに傷つけることにもなりかねません。


生き延びるために否認を使って来たこと、緊張を好む傾向がひとつになるので、回復の必要を感じることが難易度の高い問題になることも少なくありません。なにより自分を守ることが最優先であったために、欲しいものが欲しいと知られると、自分がコントロールされる危険を反射的に考えます。孤立の記憶といまとこの先の孤立を嫌い、それゆえ無意識に現在の孤立を選択しています。孤立していれば孤立はないからです。無力な子供が生き延びるために、幼児期からのもっとも重要な課題であったことを理解してあげてください、


しかし、すでに気がついていてどこかで自分のやり方を手放したいと考えている人もいます。急がずに、ゆっくり少しずつやり方を変えて行くようにしましょう。急がないことが古いやり方を手放すうえで、成功させる条件なのです。


成人したいま、戦いは終わっています。戦場から帰還すること、帰還したら傷の手当をして回復をめざす。サバイバーに幸多いことを願います。


併せて、「不安」がどれほど人を傷つけているかについて真摯に考えるべきです。そして私たちがコミュニケーションスキルを磨くことで、ムダな不安をどれだけ軽減できるのかを認識したいものです。


 余談ですが、ほとんどの人に身近なテレビ箱のなかでは、報道、娯楽を問わず、攻撃的な言い回し、感情的な態度がエスカレートする一方です。こんなものに親しみながら子供が健全に育つとは考えにくい時代です。大切にされている実感が子育ての基本です。


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京都 金閣寺

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アルコール依存症者の家族はナニがどう違う

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京都 大河内山荘


アルコール依存症者の家族はナニがどう違う


 アルコール依存症者のいる家族とそうでない家族ではなにがどう違うのか。子供には、どんな影響があるのか。成人したアルコール依存症者の子供たちの苦しみの原因を追います。


アルコール依存症者を持った家族は、依存症者と同じように起こっている現実を見ようとしない特徴があります。依存症者も家族も同じように否認するので、子供も成長過程で現実を否認する習慣を身につけていきます。


否認するメリットは家族が不安の防衛です。破綻する恐怖を認識しなくて済むことです。家庭内で起こったことは公言しないことに始まって、一貫性がないこと、予測不可能であること、混乱していることが暗黙のルールとして家族に浸透します。家庭は理解や成長する場ではなくなります。否認するメリットは大きなデメリットに反転します。


前日の会話の内容が、今日になれば一転しているのは日常的になります。これはアルコールの影響であると共に人格が変化する2つの側面の結果です。


子供は約束をしてくれた親を慕い信頼しますが、翌日にはそのかけらすら味わうことができなくなり失望し落胆します。繰り返しやってくる失望を乗り越えるために、学んでいた「否認」を使って乗り越えます。期待しなければ、望まなければ傷つくことはないと考えるようになります。自分の願望を自ら認識しないように自分を躾けていきます。


その一方で、彼らは、隣あるいはどこかに完全な家庭があると信じます。不合理な比較をするようになり、「恥」を終始妄想することになります。何に対しても自信がなく、安全と認識した世界においてのみ、自己表現を試みます。「白か黒か」「すべてか無か」の極端な発想は、家族間のルールで培われています。


たとえばある物事について、父親がノーと言い、母親はイエスと言う。両者の間では、コミュニケーションが希薄な上、逆転は日常的なので、アルコール依存症者の家族では一貫した決め事ができない仕組みになっています。


子供は二つの相反するルールを持つので、混乱します。したいことができない、言いたいことが言えない。引き裂かれてしまいます。自分の願望とそれを否定した者の願望を受け入れてしまします。混乱が起こりますが、否認が習慣化しているので、本来の欲求を自分なりに無理な理由づけをして抑圧します。自分の欲求に気がつかなければ自分は傷つかないし、失望しないと考えるのです。こうしてますます自分の欲求がはっきりしなくなります。


他者とのコミュニケーションでは、壊れた堤防を越えて相手の欲求が入ってくるようになり、自分の欲求と相手の欲求が混在するようになってきます。この状況には親和性があり、自ら堤防を壊すことに抵抗を持たなくなります。


彼らは「白か黒か」「すべてか無か」の選択に安心し好みます。「中間」が苦手です。その理由は、これまでの説明で分かっていただけると思いますが、残念なことに現実的では機能的ではありません。


アルコール依存症者のいる家族の行動を正常、異常で判断することは正しくありません。そのような判断方法が改善のプロセスになることもありません。そのやり方は機能的かそうでないかで判断することが、回復のプロセスに欠かせません。

彼らは自分のやり方が正しいと信じています。事実自分や家族の身を守るための工夫に満ちています。ライオンの追いかけられた者が逃げ場を選ぶ余裕がなく、たまたま選んだ場所が危険な洞窟だったとして、それを異常と決め付けることはできないのです。


機能的な仕組みに変えていくとは、そこは危険だから安全な場所に移動しなさいということでしかないのです。


機能的な家族とは、なによりもまず役割が機能していることです。役割が機能することでふさわしい能力が求められます。父親は一家のリーダーとしての能力、母親には裏方としての能力、子供には子供にふさわしい能力がそれぞれ求められます。子供は食料の買い物や料理、家の雑用、車の移動などを期待されることはありません。親が負うべき責任を負うことはありません。子供は親でなく。親は子供ではありません。


それぞれが自分にふさわしい能力を身につけるように努力します。そのプロセスは一貫していて、子供は自分が愛されていると信じています。今日がそうであるように明日も同じと信じています。物事にどう対処しどのように責任を取るのかを教えられます。家族の一員として安心して努力できます。


家族それぞれの努力が問題を乗り越える能力の基礎になります、こうして家族は問題があっても乗り越える機能を持つように育っていきます。最初からすべてが機能しているわけでなく、機能するようにしていくのです。


機能的な家庭ではルールは明快単純で、問題があったときには柔軟に変更して、家族全員に浸透させます。ルールは自分勝手に気まぐれに毎日変わることも、時間毎に変わることもありません。子供たちは何を期待されているか分かっています。当たり前といえばそうですが、驚くべきことにこの仕組みは優秀な会社と全く同じです。


機能していない家族では、今日と明日は同じではなく、いつ暴力を受け捨てられるかも知れない恐怖があります。愛されていない恐怖が支配します。物事がコントロールできない不安に脅かされています。自分以上にうまくやれる人を発見できない孤立感が可能性を蝕みます、失敗は見捨てられる機会に思えます。繰り返し見捨てられ感を体験します。この体験が人生への勇気を食いつぶします。恐怖心を持ったまま社会に出て行きます。


彼らに必要なのは、機能回復です。安全な場所でチャレンジできる体験をすることで勇気を取り戻すことです。他者の願望のために生きるのではなく、自分の願望のために人生を使うために失った機能を取り戻すことです。誤った思い込みを知って、なにが必要でなにが不必要なのか、自分の人生のある場所に引っ越しするために能力の取捨選択する。回復は目標に取り組むと最初はゆっくり、やがて本当の自分にめざめます。




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